お金に興味がない人は本当に損をしているのか
私はお金に興味がない。
お金に興味がないから、
会社で出世したりより多くのボーナスを稼いだりすることに興味がない。
お金に興味がないから、
なるべく無駄に貯金を減らさないように意識している。
お金に興味がないから、
お金に関する様々なものに恐怖心を抱いている。
これはそういう人に向けて書く記事である。
そもそもなぜお金に興味がないのか。
その理由は、恐らく私の幼少期の環境に起因している。
私と父は仲が良くなかった。
以前から何度か記事にしているため細部は省くが、父はとにかく人間として成熟していない人間なので、私は尊敬できる部分が皆無だと思っているのだ。
それでも私たちの関係は親子。
バイトが認められていない校風もあり、お小遣いという制度は私にとって文化的な生活を営むために必須の要素だった。
祖父は交通費だと言って、明らかに交通費以上の大きな金額をくれた。
祖母は祖父の分だけじゃ足りないだろうと、祖父に見えない場所でこっそりと良い金額をくれた。
母は必要だろうからと何も言わずともお金を渡してくれた。
もはやこれだけで私のお財布はだいぶ潤うのだが、母はお金をくれる際こう付け加えた。
「お父さんからも貰っていきなさい」と。
先述の通り、私と父の関係はあまり良くない。
わかりやすい喧嘩をするわけでも、無視などの低レベルないじめも言うことをきかないこともなかったが、娘が心の奥底に持っている軽蔑は父にも伝わっていたのかもしれない。
居間でテレビを眺める父に近づき、「あの」と声をかける。
父は私の目的を聞く前に、瞬時に返す。「金か?」
そうだ、その通りだ。
私は今自分の都合で金を無心しにきたのだ。
なんたる屈辱感。
本来なら、嫌そうにする人からお金などもらいたくない。
それでも、貰わなければ母はしつこく「貰いに行け」と私を囃し立てる。
嫌だ、貰いたくない。
でも、貰わないと、友達と遊びに行けない。
自分の中に渦巻く屈辱感と、金を無心しなければならない自分への軽蔑とを抱えながら、「うん、そうなの」と呟く。
「いくら欲しいんだ?」
そこまで聞くのか。
金額はいくらだって問題ない。
むしろ貰わなくてもいいくらいだったのだ。
選べるなら大金をせがめばいい、という悪魔の心と、
なるべく父親に嫌われたくない、という子供ながらの心と、
尊敬できない奴から貰った金で遊ぶなんてクズみたいな人間だな、という自虐的な心。
それらがぐるぐると蠢くのを感じながら、「そんなにたくさんじゃなくていい」と絞り出す。
「五千円くらいか?」
「うん、ありがとう」
「ああ」
それで父子の会話は終了する。
私にとってお小遣いを得るためには毎回このフェーズを踏まなければならなかった。
自分のことがより嫌いになる瞬間だった。
学校で禁止されていても、こっそりバイトすれば良かったんじゃないかと思うだろう。
今の私ならその選択肢も考えられる。
だが、当時の私は超がつくほど真面目な優等生。
校則を破るほどの度胸は私にはなかった。
こういった経緯で、私にとって「自分がお金を求めること」=「卑しいこと、嫌なこと」のような感覚が身についてしまった。
(他人がお金を求めることについてはどうも思わないため、やっぱり「自分がお金を求めること」だけがマイナスな要素に感じてしまうのだ)
だからこそ、社会に出てお金を稼ぐとなっても、最低限自由に生活できる給料さえ貰えていれば、それ以上は求めなくなった。
そのため、会社から「この企画でスキルアップして上手くプレゼンできればボーナスをあげるよ」などと言われてもまったくやる気が起きない。
「奨励されている資格を取ればボーナスをあげるよ」と言われても、関係ない自分が取りたい資格しか取らない。
実はこの記事を書く前に「お金に興味がない社員は経営者にとって扱いにくい」などと書かれた記事を読んだのだが、まさしく私がそれなんだろうと思う。
そして、「最低限自由に生活できる給料さえ貰えていればそれ以上は求めない」性格であることを自分で熟知しているため、
私は自分がなるべく出費しないように意識している。
というか、そもそも家計簿をつけたり、常に貯金を確認したりするのがとても苦手なので、「常になるべく無駄な出費をしない」という大枠な意識を持つようになった。
そのため、現在も自分がいくら貯金しているのかは把握していない。
家賃を払う際に預金を見る機会があるため、そのときに自分の中で決めた最低金額(20万円)を下回っていなければ、あとは問題ない。
そして、お金に対する恐怖心。
これは人一倍抱えている自信がある。
そもそも、「お金に興味がない」=「お金にだらしない」という構図は間違っている。
「お金にだらしない」ということは、「お金を軽んじている」わけで、
お金に対して謎の「なんとかなる」精神を持っているからお金にだらしなくなるのだ。
お金に興味がない人はたとえお金を増やすことに興味がないとしても、お金がなければ生きていけないことは知っているし、短期間でお金を増やすことの厳しさもきちんと知っていると思う。
その「お金を増やす大変さ」とその他(私の場合はお金に関わるストレス)を天秤にかけて、「まあ増やさなくていいよな」となった人が「お金に興味がない」人なのだと思う。
そういうわけで、お金には興味がなくとも、お金がいかに怖い存在かは知っているはずだ。
お金を稼ぐことに人生を捧げている人もいるし、他人のお金を奪うことに躍起になっている人もいる。
お金は人をいとも容易く変えるし、なくなるときは一瞬だ。
貴重な物はお金で買えるけれど、大金を買うためには自身の信頼や相応の物を渡さなければならない。
お金はとても怖いのだ。
興味がないなら、下手に金をどうこうしようとするのはやめておいた方が無難だ。
お金を増やしたいなら基本給が高い会社に転職すればいいし、
「いつかの漠然とした大きな出費」を見越してお金を使いすぎないよう気をつけておくのはまったく損ではない。
つまり、お金に興味がない人は損をしない。
損をするのは、お金を軽んじている人だけだ。